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セーラー服の歴史 |
セーラー服が元々、女子学生の制服でなかったことは有名な話です。
はじめは西洋の水兵服でした。
セーラーとは水兵を意味するようです。
水兵は、長い航海で大変不潔な状態にあったため、
伸びた髪を束ねていたポマードで、背中や首回りがどうしても汚れてしまいます。
服が汚れることを嫌った水兵が、四角くて広い布で首回りを覆いました。
これが定着して、広い襟の付いた服を着用するようになったという話です。
また、航海の荒天時に広い襟を立てると、波の音などでうるさい船の上でも、
人の声を聞きやすくなります。
※襟の大きさは、ちょうど頭の大きさと同じくらいにできています。
衛生的な考えと、船の上ならではの工夫がセーラー服を生み出していったのだと思います。
そう考えると、ネクタイはすぐにはずせ、手旗信号に使ったり、汗を拭くために、
細く絞った袖口は船仕事のときに邪魔にならないように、
体に密着しない作りは濡れても体温を奪われず、すぐに脱げるように、
白ラインは暗闇でも目立つように等、色々な工夫が施されています。
そして、セーラー服は1859年にイギリス海軍が水兵の服として採用、制定しました。
当時のヨーロッパの貴族たちは、セーラー服を見て『可愛らしい』と思いました。
セーラー服は、幼児の男女に、好んで着せられるようになります。
そして、セーラー服はプライマリースクールの制服に採用されるようなりました。
男女の違いは、ズボンとスカート以外はほとんど同じものでした。
しかし、セーラー服が成長した男子に、採用されることはありませんでした。
イギリスという海軍の強国の文化に影響され、
セーラー服は子供服として世界中に広がっていきます。
日本でもセーラー服を最初に着た人たちは、日本海軍の水兵でした。
当時の日本は、富国強兵策がとられていました。
それまでの女学生は和服、いわゆる「矢絣・袴」です。
明治末頃から、、この和服を洋風化しようという考えが動き出します。
洋装化の最初の制服として導入されたのは、バッスル・スタイルのドレスでした。
1885年頃、関東の華族女学校(現在の女子学習院)が採用しました。
これは洋装の普及が目的で、和服が一般的だった当時は大変不評でした。
悪評のせいかこのドレスは一般化せず、矢絣・袴を正式とする学校が大半でした。
1921年、これも有名な話ですが、福岡女学院が日本で初めてセーラー服を女子学生の制服に採用します。
ただ、採用したのは体操服としてでした。
正装としての採用は、名古屋の金城学院が最初という話です。
そして、制服は瞬く間に全国へと広がっていきました。
戦前の女学生はほぼ全員、セーラー服となります。
福岡女学院も金城学院も、ルーツは関西襟、名古屋襟のと思います。
女子学習院は関東襟がルーツだと考えられます。
関西系のセーラー服は「大きな襟と広い胸当て」が特徴です。
関東襟は、その逆です。
既に一般化しつつあった水兵服を女性用に改良したのではと思っています。
そのため、胸当てが後付けになっていることが多いわけです。
セーラー服の採用に関しては、その時の時代背景をよく表しています。
セーラー服は、水兵に正式採用されましたが、士官や将校には絶対に採用されません。
セーラー服は下級兵士の服だったのです。
男尊女卑という社会風習では、男子と女学生が同じ服を採用する事はあり得ませんでした。
しかし、女生徒が着る制服としては、大変理に適ったものだったのです。
そして、セーラー服は女子生徒として広く普及していきました。
太平洋戦争中、女子学生の制服は大きく変わります。
スカートは禁止、もんぺを履かされるようになりました。
セーラー服は、襟を「ヘチマ衿」という形状に切る学校もありました。
女子学生は何とも色気のないスタイルで戦時をすごさなければなりませんでした。
時代といえば仕方がありませんが、勤労動員のため、つまり工場で労働するためです。
セーラー服の歴史上で、最も時代となりました。
終戦後、物資の不足で、制服の着用が困難な学校も多くありましたが、
配給制を経て、1955年までにはどこの学校も再び、セーラー服の着用を定めるようになります。
圧倒的に物資不足の時代ですから、セーラーの下に着ていたベストが廃れたり、
ジャンパースカートが腰スカートになったり、という大変貌を遂げます。
この変化の時代を乗り越えて、セーラー服がほぼ現在と同じ構成となっていきます。
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制服豆知識 |
★襟
襟のタイプにはいわゆる「関東襟」と「関西襟」があります。
まず、関西襟に多いのが「襟の縁が直線的」で有ること、
関東襟に多いのが「緩やかな曲線」です。
襟の大きさの違いが出てくるのはここからきています。
関東は襟が小さくて、胸囲よりも上で襟がつながります。
逆に関西は、襟が大きくて胸囲の少し下あたりでつながります。
また、近年では名古屋襟という概念が生まれてきました。
関西襟は大阪や名古屋を中心に、西に広がっています。
しかし、中部より東ではほとんどありません。
これが「関西襟」と呼ばれる所以です。
名古屋襟というのは、愛知県を中心とした特殊な襟のことです。
「関西襟」のように大きめの広い襟なのですが、ネクタイ留めはなく、
胸囲のラインもしくはそれ以下で襟がつながります。
とても大きな大きい襟です。
さらに目立つのは大きい胸当てで、ここに校章やマークのある例が多いです。
大きな白襟は、まさに「名古屋襟」の代表といってもいいでしょう。
襟カバーの着用も名古屋襟は多いようです。
★ライン
学校ごとにそれぞれ個性的なラインを採用しているところが多いです。
ラインは、襟と袖口にあるケースが多いですね。
学校によっては襟にラインがなかったり胸ポケットに有ったり肩の所に有ったりと、
実に様々なデザインがあります。
襟の縁ラインが交差していたりねじれていたりと、見ていくと可愛い物です。
その他にカラーや本数なんかも色々有るので、楽しい物です。
★開き
昔のセーラーは、ほとんどが前開きのボタンタイプでした。
カブリのファスナータイプが誕生した理由は、
後ろから強く引っ張られるとすぐに脱げてしまうためと言われています。
防犯などの観点から、時代と共に変わってきたのです。
しかし、まだ前開きのボタンタイプが残っている所も有るようです。
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